【駒場・東大発!】と題しまして、駒場東大前商店会や駒場にゆかりのある東大生にスポットを当ててご紹介します。
駒場東大前商店会のイベントには、たくさんの東大生が参加し、盛り上げてくださっていますが、その礎を築いたのが、東大卒業生の筒井 健介さんです。
今回は、筒井さんの駒場での活動や、2022年春に同級生の牛島 礼音さんと共同で始められた新事業【自分史ドキュメンタリー】について、詳しく伺いました。
ぜひ、最後までお楽しみください!
懐かしさのある駒場の街は居心地がよく、いつしか好きになりました
私は東大に通うために大阪から上京して、今や10年になります。
元々、東大に入学した際に、駒場3丁目に住んでおり、菱田屋や太田屋、キッチン南海のご飯をよく食べていました。
「東京砂漠」や「コンクリートジャングル」などと、東京での生活に身構えていた私でしたが、懐かしさの残るこの駒場の街は、居心地が良く、いつしか好きになっていました。
「駒場の街について知りたい」と相談したのが、活動のきっかけ
1年生の頃、教養学部で「街」について考える課題があり、日頃お世話になっていたクリーニング屋のホームドライの方に「駒場の街について知りたい」と相談しました。
これが、駒場東大前商店会の活動に参加するようになったきっかけです。
納涼祭では、菱田屋の方に氷の割り方から教わって、かき氷を作っていました。
暑くないのはいいんですけど、冷たさに悶絶しながらやっていました(笑)
また、その活動のなかで出会った地域の方々と一緒に、駒場文化推進委員会という団体も立ち上げました。
駒場の街を紹介する「駒場さんぽマップ」の発行や、街の方々の得意なことを皆で共有し合う「まちゼミ」を開催するなど、駒場の魅力を発信する活動を続けています。
現在では、東大の駒場祭委員会、自治会、体育会の学生たちと協働で活動するまでに発展しました。
本当に、いろいろな社会勉強をさせていただいたと感じています。
「人と親密に触れ合える仕事がしたい」という想いと牛島さんとの再会
東大卒業後は就職し、組織人として仕事をこなしていましたが、一方で、「人と親密に触れ合える仕事がしたい」という想いが募り、悶々とした日々を過ごしていました。
そんななか、駒場キャンパスで一緒に映画制作をしていた牛島くんと再会し、共同で【自分史ドキュメンタリー】という事業を立ち上げることに決めました。
【自分史ドキュメンタリー】のご紹介
「自分史」という言葉をご存知でしょうか?
「自分史」とは、自分自身のこれまでの歩みを振り返り、個人や家族の歴史を表現したものです。
これまで、自分史は文章で綴り、一冊の本として残すことが一般的でしたが、私たちは、映像によって家族の歴史をつなぐ【自分史ドキュメンタリー】を制作しています。
今、生きている大切な人の記憶を未来に
この事業を始めたきっかけには、2021年に私たちそれぞれの祖父・祖母が亡くなったことがあります。
自分たちの祖父・祖母が入院し、亡くなり、葬儀を迎えるなかで、「大切な記憶が失われてしまった」という後悔の念が生じました。
一方で、「今、生きている大切な人の記憶を未来に残さないといけない」という感情が芽生え、健在であるそれぞれの祖母の「自分史」を制作することに思い至ったのです。
やるからにはトコトンと、ドキュメンタリー映画のように、インタビュアーを置いた家族や友人との対談や、祖母らしさが表れる日常生活、イベントなどのロケ撮影を行いました。
【自分史ドキュメンタリー】を創ることそのものが、家族にとっても貴重な財産に
そして完成した祖母の【自分史ドキュメンタリー】。
「映像を観ている間、笑顔になれた」と、祖母が喜んでくれたことが、まず何よりも嬉しかったです。
また、実際に【自分史ドキュメンタリー】を制作してみると、撮影やインタビューの行程そのものが、家族で改めて語り合う、非常に貴重な場になっていることに気付かされました。
家族の歴史を発見できたというだけでなく、自分たちのルーツを再確認することにもつながり、とても前向きな気持ちになったのです。
【自分史ドキュメンタリー】を通して家族みんなで共有した時間すべてが、とても大切な思い出となりました。
映像だからこそ残せる、言葉にできないものも大切に
私たちは、映像だからこそ残せる、その人らしい声色や表情、あの場所の記憶、思い出の写真など、言葉にできないものも大切にしています。
インタビューによる「人生の深掘り」と、密着取材による「日常の姿の記録」を重ねることで、その人らしい人生の足跡を浮かび上がらせていきます。
大切な家族の記憶を未来につなげるために、ぜひ、多くの方に【自分史ドキュメンタリー】をご活用いただければ幸いです。
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